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VOICE 25. | 2015.January | Osamu Shigematsu

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重松さんが丸の内を訪れるのは、何もビジネスのためだけではない。レストランでのディナーなど、今ではプライベートな時間を楽しむ機会も増えたと話す。特に丸の内ハウスでのイベントでは、いい笑顔で盛り上がる、その姿を見かけることも少なくない。

 

 

「’70~80年代のディスコミュージックが好きで、踊るのも大好き。中学生のとき銀座にできた日本初のディスコ『モンキー ア ゴーゴー』に行って以来、絶えずディスコシーンを見続けてきました。ただ以前はアチコチに出入りしていましたが、ここ数年はディスコの代わりに丸の内ハウスばかり。エレベーター前のグレートホールの様子をチェックできる『HENRY GOOD SEVEN』の通路沿いが指定席で、いい曲が流れたらすかさずフロアに出て盛り上がるのがお決まりです(笑)。普通のレストランゾーンであれば、グラスを片手に歩き回ったり、ノリノリになるなんて不届き千万。だけどココはそれが許されちゃうし、そういうことを楽しむ場所なんですよね」

 

 

 

 

大手アパレル企業の重役ではなく、ひとりのお客として足を運び、美味しいお酒や気が置けない仲間との会話、良質な音楽に酔いしれながら盛り上がる。そしてエレガンスに溢れるも気張って見えない、さすがの装い……こんな60代の紳士、誰から見ても格好いい!

 

「若いビジネスマンから僕のような年齢まで、幅広い世代が同じ空間で楽しめるところが丸の内ハウスの魅力。街全体が落ち着いた雰囲気のなか、横丁にでも紛れ込んだようなココの賑わいは特別ですし、とにかく皆さん楽しそうなのが印象的です。有楽町や新橋とは違う大人のコミュニティになっていて、1日の労をねぎらったり、ストレスを解消したり、ロンドンのパブのような役割を果たしていますよね。さらに洗練されているけど気取らないムードも素敵で、カップルやOLさんなど女性が利用しやすいのもいいですね」

 

 

 

前述したように、丸の内の街づくりに関われなかったと悔やむ重松さん。しかし、まだまだ発展途上であり、今も進化を続けている。

 

「これまでは仲通りという線でつながったエリアでしたが、今後は面として広がっていければ良いと個人的には思っています。銀座や大手町、日本橋と一体化して、グランドデザインを描いていけるのが理想的。しかも皇居の眼前という格式高いロケーションや歴史ある土地柄を活かし、日本の伝統的なものや新旧をミックスしながら発展するのが望ましい。そして丸の内からも文化が育まれていけば、欧米がビックリするような素敵な街になるのではないでしょうか。今後は私たちも、その一員として参加していきたいですね」

 

 

 

 

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重松 理(しげまつ・おさむ)
1949年、神奈川県逗子市生まれ。実家の近くに米軍将校たちの居留区があったことから、アメリカの生活・文化の影響を受けて少年期を過ごす。洋服に没頭した青春時代を過ごし、大学卒業後は婦人服メーカーに就職。’76年にはセレクトショップの草分けとなったビームスの立ち上げを企画提案し、第1号店の店長を務める。’89年に独立し、(株)ワールドとの共同出資により(株)ユナイテッドアローズを設立、代表取締役社長に就任。その後、重職を歴任し、昨年より名誉会長に就任。
www.united-arrows.co.jp

 

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